11月 よい方と巡り会えた
今年はほんとに合コンの多い年だった。
しかも自分は、去年まではまともな合コンというのは行ったことのない人間だったのだ。
今年は6月頃に職場のつながりで3対3で行ったのを皮切りに、6〜12月の約半年間だけで、10回以上行ったのではないかと思う。
そしてその間、何度も挫折を繰り返した。
少し「いいな」と感じる人がいたら、そのたびに声をかけ、デートに誘ったりしたのだが、、、
ことごとくうまく行かない。
デート自体は無難に進行するのだが、心の盛り上がりが全然感じられない。
相性の良い方にたまたま出会えていないのか、それとも自分の価値観が特殊すぎるのか、、、そうだとしたら、自分はこの先、どの女性とも恋愛関係に移行できないのではないか、、、
そのような不安と絶望感で、心が沈み込んでいくのを感じた。
「もう疲れた。合コンはやめよう。少し、冬眠というか、省エネモードに入ろう。」
秋が深まる頃には、そのように感じるようになっていた。
「それでも、予定が入っている分はこなさなくては。」
そのような義務感で臨んだ、11月下旬の、とある合コン。
不思議である。
人間というのは、絶望の淵に入りかけたとき、ふと、光が射すことがある。見えない力が働いているのだろうか、手が差しのべられるのだ。
このときも、そのようなタイミングだった。
集まってきた人たちは、なんというか、今までとは違う、真面目そうな感じの人たち。
「あぁ、自分とは合わないなぁ」
となんとなく感じた。
女性陣の幹事は、優しそうな目をした、やわらかな雰囲気の方。
印象的だったシーンがある。
飲み屋に入り、席に着くとき、テーブル席で、男女3人ずつが向かい合うかたちとなった。
男女の両幹事は先導役だったので、自然にいけば、テーブルの奥に着くはず。
実際、男の幹事は、一番奥(壁側)の席に着いた。
僕は、その逆、一番手前側(通路側)の席に。
そして、女性の幹事は、流れとしては一番奥に入りそうな感じだったのに、直前で止まり、他の二人を先に促したのだ。
で、彼女は、一番手前側、すなわち、僕の向かい側の席に座った。
人生には、ときに、自分が映画の主人公になったかのように、ひとつのシーンが脳裏に刻まれるときがある。
今回の動作も、周りから見て、そんな違和感のあるものではなかったと思うが、僕には、とても印象的なワンシーンだった。
そして、彼女とは、その後、急速に関係を深めることになる。
その合コン自体もとても楽しい物だった。
彼女とも初対面とは思えないほど打ち解けた話ができ、盛り上がったし、6人全体でも和やかに楽しくコミュニケーションがとれた。
「合コンって、こんなに楽しいんだ」と素直に思えた、初めての会でもあった。
その彼女とは、その後、年内に、4回に渡りデートをし、2回電話をし、ほぼ毎日メールをし、そして本日に至っている。
まだつきあっているわけではない。
しかし、とても良いコミュニケーションがとれていると感じる。
彼女の好きな点を3つ。
(1)バイタリティ:この1か月強の間だけでも、マラソン大会に出たり、合唱団で第九を歌ったり、リコーダー教室に通ったり、お茶教室に通ったり、スキーに行ったりといったことをしている。そして、仕事にも全力投球している。(この人は何人いるんだろうと思った笑)正直、尊敬している。同時に、応援したい、とも思っている。
(2)相手に対し、敬意を持って接している:バイタリティがある一方、たとえば、二人で話していても、物腰がやわらか、おしつけもない、独善的でもない。自分のことも、年下で頼りなく感じるとこともきっとあると思うが、母性をもって、あたたかく見守ってくれてる感じがする。「一緒に会話を楽しもう」という姿勢が、すごく伝わってくる。
(3)繊細な心を持っている:たまにくじけたり、弱気になったりするみたい。それは裏返すと、繊細でこまやかな心を持っているということ。自分と、すごく波が合うのを感じる。
素晴らしい出会いに巡り会えたことに、心から感謝したい。