仕事考−−−仕事とプライベートはともに重要、ではない


仕事とプライベート、どちらを重んずるか・・・
よく挙げられる話題だと思う。
「どちらとも重要だ」、というのが、大半の意見だろう。
その気持ちは、よくわかる。
しかし、これは誤りなのだ。


男の性とも言えるのかもしれないが、僕たちは、とかく、仕事に力を注ぎがちだ。
まるで、「仕事の成功が、人生の成功につながる」と言わんばかりに。
事実、男女平等とはいえ、まだまだ男女の性差が大きい現代社会。
男に生まれた以上、「稼ぐ」(家族を養う)ことが一番求めれられるというのは昔からの普遍的
な事情だ。
そういうふうに万世引き継がれたものが遺伝子に刻み込まれているのかどうかわからないが、男
は仕事に没頭するようにできているのだろう。
で、不景気、格差社会、人員削減でもってもたらされる、個々人の業務量の増加。
今、若い社会人たちの相当な割合は、日々の業務に忙殺され、疲労にあえぐ日々を過ごしている
のではなかろうか。


僕は、公務員ということもあり、民間で働く同年代と比べれば、いくぶんマシな勤労環境に置かれ
ていると認識している。
それでも、仕事柄、議会・予算の時期や年度末は、忙しさが何段階か上がるのである。
たとえば、こないだの3月の状況について。
日中は電話の照会がひっきりなしに入って、仕事にならない(むしろ通常業務どころか、余計な仕
事が増えていく場合もあった)。
夕方、電話が一段落し、ようやく通常業務にとりかかる。
年度末で業務量が普段より大分増えているものだから、結局、終電近くまでやっていくことになる。
家に帰ったら、シャワーを浴びてベッドに倒れこむだけ。
翌日、6時に起きてまた出勤。
僕は休日出勤は原則しない主義なのだが(3月は一度だけした)、人によっては、休日もかなり出て
いたようだ。


こんな感じ。民間や中央省庁なんかだと「そんなのまだまだ甘い」というところもあるだろう。噂はいろ
いろ耳にはさむ。
でも、言いたいのは、こういった僕のような状況でも、正直けっこうしんどい、ということ。
個人の体力や精神力によるところも大きいだろうが、僕の場合、頭の中は95%くらい仕事で埋め尽
くされていたし、仕事以外の遊びや趣味をこなす余裕もほとんどなかった。
楽しみといえば、休日前にコンビニでデザートを買って食べることと、今月分の残業代を何に使おうか
思案すること・・・それくらいのものであった。


幸い、僕の場合、こういう生活は1か月間でほぼ解消された。
でも、今回の件で感じたのは、「こういう生活をしていたら、精神的にも肉体的にも、もたない」ということ。
仕事に命をささげようと思ってやっているのなら、まだいいかもしれない。
でも、自分の場合は違う。自分の人生を充実させるために、そのための手段として、仕事をしているという
ことだ。
このことは重要だと思う。業務に忙殺されると、こういう当たり前の前提を見失ってしまい、目の前の仕事
しか目に入らなくなってしまいがちなのだ。
真に重要なのは、自らの人生を輝かせること。


そして、考えるべきは、「人生を輝かせるために、今、何をするべきか?」ということ。
自分の場合は、人、特に女性とのコミュニケーションに力点を置こう!ということで最近取り組んでいる。
人生において、人の関わりというのは重要だ。
それは、「避けられない」という決定的な性質をもつからでもあるが、逆にプラスの意味で捉えると、人生
というのは、人との関わりの連続で構築されるものであって、それ次第で、人生の充実度というのはいか
ようにもなるから。
そして、男友達(先輩・上司・後輩含む)とのつながりももちろん大切なのだが、やはり男に生まれた以上、
女性との関わりに喜びを感じずにはいられない。
僕もどうやらまっとうな異性愛者として生まれたらしく、学生時代から女性に興味はあったのだが(なんか
恥ずかしい表現だなぁ)、なんだか社会に出て、その気持ちに拍車がかかった気がする。年齢的に遺伝
子がそういうふうになるようになっているのか、それとも社会に出て刺激を受けたからなのか、はたまた、う
つで圧迫されていた精神が解き放たれてきているのか、そのあたり真相は定かではない。まあきっと、いず
れもあてはまるのだろう。


そして、特に、このトシにもなると(という言い方はあまり好きではないが)、結婚のことを考えずにはいられ
なくなる。
学生時代の自分は、「自分は結婚するだけの甲斐性がない人間だ。それに、自分の遺伝子(精神的に
弱く、無気力)を引き継いだ子どもを作るなんて考えると、子どものことがかわいそうに思えてくる。それでも
子どもを作りたいというなら、それはエゴとしかいいようがないんじゃないだろうか?生まれてくる子どもの
苦しみを想像すると、とてもできない」という考えをしていた。劣等感と憂鬱の塊のような人間だったのだ。
今も、この考え自体は変わらず持っている。ただ、このことに続き、「今は確かに、そういうような(上に書いた
ような)状態だ。でも、今後、どうなるかは、自分の取り組みひとつだ。
①人間的に成長し、立派な成人男性として生きていけるように自立すること。
②多種多様な経験を重ね、「こんなに素晴らしい瞬間があるのであれば、どんなに辛く苦しい人生でも、生き
ている価値がある」と本気で思える瞬間に出会う(これは、中島らもの影響)。
③ありとあらゆる場面を出会いの機会と捉え、「この人となら一生寄り添っていける。そして、寄り添っていき
たい!」と確信できる相手を見つける。
この3つが達成できたとすれば、そのときは、結婚という選択に踏み切るかもしれない。
せっかく一度きりの人生、どうせなら、やってみようじゃないか!」
というふうに考えられるようになってきた。結果として、「結婚なんて無理だ」が、「今は無理でも、できるよう取り
組む。そして、将来したい!」という風にもってこれている。これは大きな変化だ。


話がそれてしまった。
でも、もうほとんど結論がでた。
こういうふうに恋愛・結婚に大きな力点を置く以上、仕事に95%もの力を使ったりしてられないと思うのだ。
いや、仕事なんててんでテキトウにやればいい、と言っているわけでない。
男として、仕事に力を注ぐのは素晴らしいことだし、そのことが自己実現にもつながる面もあるだろう。
しかし、あえて言う。人生が充実するか否かの大局的な視点で捉えれば、仕事なんかより、恋愛を始めとした
コミュニケーション、そして結婚ということの方が100倍重要だ。

こう考えてみてはどうだろう?
①仕事に95%投球をした場合
②仕事はメリハリをつけ過度の負担にならないようにし、恋愛を始めとしたコミュニケーションを意識上の
主眼と捉えて取り組んだ場合
①と②で、①の方が10%程度出世はするかもしれない。でも、たかだかそれだけのことだ。それが精神的
に自分の人生にどれだけプラスになるだろう。経済的にどれだけ寄与するだろう。
人生、70〜80年の時代だ。
恋愛のドキドキ感、いろんな人とコミュニケーションする喜び、結婚の癒し、子育ての充実感・・・
そういった人生の肝になる事柄を総合的に俯瞰して、仕事が占める(べき)割合というのは、数値にして何
%ほどのものか?
そして、今現在、生活全体における仕事の割合は、何%くらいか?
人生全体と今現在で捉え方は当然違うだろうが、この数値が全然食い違うというのも、バランス感覚の
ある生き方とは言えないのではなかろうか?
問題は、
①このバランス感覚を誤ってしまっていること
②仕事、恋愛、趣味、結婚、育児、、、こういった問題を真剣に考えることなく、漠然と日々を過ごしてし
まっていること。

重要な問題というのは、頭の片隅であれ留めておくか、まったく考えずに生きるか、それによって全然
違ってくる。
無意識に過ごすも人生。問題意識を持って過ごすも人生。いずれにせよ、人生は、一度きりだ。