御苑にて子ども作りと自分の人生について思う

 日曜日、演劇を観に新宿へ行ってきた。
 帰り、新宿御苑に寄る。
 3月に入り、まだまだ寒いながらも、かすかに春の芽吹きが感じられるこの頃。
 御苑も、まずまずの人手。
 みな、思い思いのときを過ごしていた。
 人口密度がそこまで高くないせいか、中に、シートを敷いてくつろいでいるカップルを発見。
 「やけに密着してるなー」と思って目を向けると、なにやら、ちゅっちゅちゅっちゅ、キスをしているっぽい。
 思わず、見てるこちらが恥ずかしくなってしまう。
 同時に、自分にもこんな時期があったな(全く同じことをしていたわけではないけれど)、と思いにふけった。
 愛しい人と二人で過ごす時間。
 愛情表現の仕方はカップルによってそれぞれだと思うけど、お互いがお互いの愛情を確認し合うとき、やはり、かけがえの無い、無上の幸せを感じる。
 「生きていて、本当によかった」
 「今、この瞬間の喜びを抱えている限り、自分はがんばっていける」
 何度か、こういう思いを胸に刻んだこともあった。


 自分は正直、子どもを作るつもりはない。
 一つは、精神面。
 愛するわが子が、自分のようなうつになったらと思うと、不憫でならないのだ。
 また、自分自身、人間的にあまりにも未熟で、一人前の人間に育てる自身がないこともある。
 将来、子どもに、「なんで育てる自身がないのに、自分を生んだんだ。自分はあなたを心底恨む」という風に言われはしないかと、そういう悪い想像にうなされそうになることもある。
 二つ目は、社会の問題。
 少子化・高齢化+ニート・フリーターの増加で、社会保障費等がかさみ、ただでさえ国の借金がかさみにかさんでるというのに、さらに財政が逼迫するだろうし、産廃や処理場の関係で、ゴミ問題も深刻。エネルギー問題も、喫緊の課題だ。少子高齢化で外国人の受け入れは必然だろうから、それに伴う治安の悪化も懸念される。世界に目を向ければ、中国・北朝鮮・インド・イスラム諸国と、紛争の火種は絶えないし、潜在的に核の脅威が確実に強まっていることにも目を背けられない。
 そんな時代に生を受けるなんて、やはり、あまりにかわいそうである。
 三つ目は、金銭面。
 単純に、お金がもちそうにない。
 一人っ子はいろんな面でかわいそうなので、子どもというのは兄弟のいる環境で育つべきだと考えている。
 とすると、二人としても、自分が公務員であること。これから経済状況は下向きにこそなれ、上向きはしないだろう。そうなると、明らかにキツイ。
 ぐだぐだ言ってみたが、理由の90%は一つ目の精神面の事情だ。


 なんか一日に二つの話を持ってきたことに無理を感じてきた。
 とにかく、子どもは無理だと、半ばあきらめている。正直。
 でも、こういう考え方はできないか?と、御苑のカップルを眺め、感じた。
 すなわち、「自分が感じた、『生きていて本当によかった』と心底思えるような瞬間を、自分の子どもにも、味わわせてやりたい。そのためには、自分がそういう経験を積まなければいけない。精一杯考え、選択し、行動し、目一杯後悔のない人生を生きる。そうすることで、子どもにも、輝かしい人生の指針を示すことができるのではないか。」ということだ。
 なんだか悟りを開いたような気分になった。大げさだけど。
 今まで関係が無いと思っていた、自分自身の問題と、子どもの問題。両方とも自分のなかではかなり大きな存在だったが、その二つが結びつき、連動して対処できるものだとひらめき、なんだか天地がひっくり返ったかのような気分になった。
 こういう考えも、精神が落ち込んでいるときには、まず出てこないものだ。
 回復していることの喜びをかみしめ、前へ進んでいきたい。
 いつの日か、また、魂が打ち震えるような感動を手にするため。
 そして、その喜びをわが子に伝える日を夢見て。