忙しさと充実感について

 年度末。仕事もけっこう忙しくなってきた。次から次に湧いてくる仕事。電話はひっきりなしに鳴り、日中はほとんど仕事にならない。結局残業して夜、本来業務をやることになる。
 新年度・4月までに終えなければならない事務がけっこうある。カウントダウンのような感じで、なんだかプレッシャーだ。
 そんな日々の中、意外と精神状態は悪くない。「あぁ、仕事の山に埋もれそう・・・」という、マゾ的な恍惚感が全身を覆っている感じだ。自分の多少異質な性向が、プラスに作用しているということか。
 一方で、職場の先輩とも仲が深まっているというのもある。遅くまで残業するのはだいたい20代の若い層なので、遅い時間、一緒に残っているというだけで連帯感や仲間意識が芽生える。また、そういう時間帯は、昼間にはできないような話もでき、なかなか楽しい。
 ここ1〜2週間を振り返ると、物理的にも心理的にも、生活の大半が仕事という感じ。その合間を縫って、フィットネスやギターにいそしんでいる。時間の経過がほんとに早く、あっという間に数日が過ぎ、数週間が過ぎるが、こういう生活もなかなか悪くないと感じる。以前の間延びした時間が流れていた頃と比べ、「生きている」という実感が強いからだ。忙しさの中で必死にもがきながら生きることで、意志や能動性が芽生えているのかもしれない。
 しかしほんと、仕事をやればやるほど、自分の未熟さを痛感するなあ。新採のころは、「半人前」(できなくて当たり前)の基準から見て、プラスのことをすれば評価される感じだったが、今は、「一人前」(一通りのことはできないといけない)になるために、自分の足りないところを補っているといったところ。仕事の数をこなすごとに、自分の力が見え、その不十分さが際立って見えてきてしまうのだ。一方で先輩に目を向けると、悔しいほどに自分より、ひと回りもふた回りもできている。
 悔しい!この悔しさもまた、バネにしようじゃないか。