葛藤の末にあるのものは

 気持ちがブレている。
 精神状態が回復基調にあり、「今がチャンス。いろんなことに挑戦して、前に進もう」という気持ちがあるかと思えば、次の瞬間には、「仕事はいつまでたっても半人前だし、人間関係もあいかわらずうまく築けない」と萎えてしまう。
 「周りを見渡すと、自信をもって旺盛に取り組んでいる人は輝いている。素晴らしい。自分もそうならねば」と思う傍ら、「でも自分には誇れるものが何もなく、平凡な人間。それに、元来気が弱い。無理に自信を持とうとするのはかえって精神的な負担になるのではないか」とも感じてしまう。
 回復と悪化、自信と不安、優越感と劣等感、活発と怠惰、快楽と苦痛、理想と現実−−−
 いろんなものの狭間で、葛藤している。
 精神状態も、めまぐるしく変わる。憂うつ度が、上がったり下がったりする。
 正直、この先自分(の精神状態)がどうなっていくのか非常に不安。
 去年の11月までのような「生ける屍」状態には、二度と戻りたくない。
 どこがゴールなのかはよくわからない。
 「生ける屍」状態から見れば、今の自分はかなり幸せな状況と言えよう。でも、確かに理屈上ではそのことはわかるが、それでもって実際に持続する幸福感を味わえるかというと、そううまくもいかない。
 自分がぜいたくなのか。それも多分にあるんだろう。
 この先どこまで回復していっても、このことは結局同じなのか?どこまでいってもさらに先を求めてしまうのか?
 自分でもよくわからない。
 なんだか、自分、自分の生き方には、そろそろ限界を感じてきた。
 他人のために生きるというのも、いいのかもしれない。
 人は、結婚すると、パートナーのため、子どもができると、愛するわが子のために生きるようになると、何かで読んだ。自分よりも、それらを優先するということらしい。親は子どもを危険から守るためなら、自らの命すら投げ出す、ともいう。
 それだけの、献身的というか、利他的な生き方というのは、一つの着地点足り得るだろう。
 まあ、今はもがけるだけもがいて、見識を広めたいものだ。
 苦境の後に成長あり。
 もがく。ひたすら、もがく。