ストレスについて、公務員vs民間

 最近、業務の関係で、一般個人宅へ滞納金の督促へ出向いた。
 何件かまわったのだが、その中の一軒は、コワモテで迫力のあるおやじさんが出てきた。
 しゃべりかたもまくしたてるようで勢いがあったが、なにより、弁が立つ人だった。
 正直、かなりへこんだ。
 督促に行ったのに返り討ちにあったような感じで、歯が立たなかったからだ。
 自分の対人折衝能力の低さ、また、一般社会の恐ろしさを知り、なんだか憂うつな心持ちになった。
 このケースでふと感じたのが、公務員というのも、想像してた以上に、精神的な負担を強いられるものだな、ということ。
 自分の場合は、このように一般市民と直接折衝ごとを行う機会はたまにしかないが、業務によっては、毎日行っている人もいる。しかも、内容によっては、督促や差し押さえといった、「対立」「トラブル」を抱え込んだ案件に関して。
 民間だと、全般的に、さらにストレスは大きいだろう。まあ一概に言えないのはわかってるけど、でも、税金でまかなわれていて原則リストラのない公務員より、利益優先・合理主義の民間の方が、どう考えても精神的負担は大きいだろう。
 ことそういう面で考えると、公務員になってよかった、と感じる。こういう考えは甘いだろうか?ふぬけているだろうか?自分は最近、病気が回復基調にあると認識している。これは、公務員という、比較的、保守的で身分保障のしっかりした職に就いている点が大きく寄与しているととらえている。逆を言うと、民間、しかも競争が激しかったり労働条件が過酷な業界・会社だったら、早々にストレスでつぶれていたと思う。
 ま、これも人生。自分の与えられた能力でもって、できるだけの貢献をしたい。徐々に、そういった素直な気持ちが芽生えてきた。「今の職で一生やっていくんだ」という覚悟(諦めも兼ねている)が、ようやく少しずつ形成されてきた感じがする。完全に受け入れられるまではまだまだかかりそうだけど。でも、そういう悔しさ、諦め、むなしさ、やりきれなさ、後悔といった負の感情を全身で受け止めて、それらを抱え込んでそれでも前に進んでいくことが、社会人として成熟していくことなのかなと思ったりする。ああ、大学を卒業したとき、「人生はもう終わりだ」と感じたものだけど、今、目の前を見据えると、「人生はこれから本格的な始まりなのかな」と思えたりする。
 さ、寝よ。