ひとさじのプリンに思う

 OHAYOの「こんがりバニラプリン」にはまっている。
 スーパーで、4個250円程度で売られている。
 以前から興味はあったのだが、「4個もいらないんだよなあ・・・」という思いが働き、購入には至らなかった。
 きっかけは、先日、近所のスーパーで、安売りをしていたことだ。4個200円程度だった。これなら、1個売りのプリン2個弱の値段ということになる。「2個弱の値段で4個買えると思えば、お得だな」との判断で、試してみることにした。
 食べてみると、なんとも美味。焦げ目はこんがりしていて、中身はなめらか。さらに底部には、とろーりしたカラメルソース。味としては、名のとおりバニラ風味のプリンといった感じ。牛乳と卵と砂糖もしっかり効いている。
 これが4個も入っているのだから、気分は上々。最近は、毎日仕事から帰ってきて、ぱくっと1個食している。幸せのひとときだ。おいしいものは気分を良くしてくれる。また、糖分は疲れを軽減するともいう。
 こういうささやかな喜びは、日々の味気ない生活のオアシス的な存在だと思う。喜びというのは、圧倒的な大きな存在である必要はないのではないか?そりゃあ、大金を手にしたり、美人の彼女ができたり、仕事で成功をしたり・・・程度や種類の違いはあれ、そういった願望は、誰しもが抱いているところだろう。しかし、そういう願望は、長い道のりの末にたどり着くのが通例だし、そもそも達成できない可能性も高い。そして、落とし穴は、「○○が達成されれば自分は幸せになるが、そうでなければ、自分はみじめで不幸な存在だ」という思いを自らに植え付けてしまう可能性があること。自分はまさに、この思いにとらわれていた。というか、今もまだ完全には払拭されていないけど。こういう思いを抱いていると、自分がどんな素晴らしい行動をしようと、ただ一点の目指す願望が達せられなければ、全ては無意味だというような錯覚を抱いてしまう。明らかに、不健全な精神状態だ。
 日常にあふれる小さな喜びに、立ち止まってふと意識を向ける。そして、その幸せをひしとかみしめる。素敵じゃないだろうか。生きるっていうのは、そういった小さなものの積み重ねだ。大きく目に見えるものだけが全てじゃないだろう。
 そんなことを考えながらプリンをかみしめるのであった。