余生
友達の年賀状が、実家に届いてたらしい。
ちなみに、東京の家には、ゼロ。こういうのは初めてだったので、さすがに、応えた。ひきこもりパワーの大きさを思い知った。
で、届いてた年賀状。
高校の友人Hから。
「久しぶり。結婚しました。」
・・・どひぇーーーー!!!
正直、自分の出身高校でも、トップ10くらいの早さじゃなかろうか。男に限れば、もしかしたら1番乗りかも!?
一瞬、どっきりかと思った。でも、そんなことする奴じゃないし、ハガキには、二人の紋付き袴と振袖のツーショット写真が納まっている。
うーん、なんともなんとも。
正直、高校卒業後、一度もやりとりしていない友人だった。それだけに、結婚のことも全く知らなかったわけだが。
なんだか、本人にいろいろインタビューしてみたい気分だ。そもそも、今何してんのかな?大学からつきあってて、社会人になったから、それを機に結婚、って感じなのかな。
まあ、まじめ+堅実+ユーモアのある男なので、幸せな家庭を築くことだろう。
ああ、しかし、こういう事実を目の前に突きつけられると、時の流れを認識せずにはいられない。
結婚は、ひとつの人生の「あがり」だと感じる。
それまでに、燃えるような恋愛があるかもしれないし、大きなケンカを経ているかもしれない。
でも、いろんなことを含み合わせたうえで、お互いがお互いを、生涯の伴侶とすることを決断したわけだ。
その後の人生てのは、ある意味、「余生」と言えるんじゃなかろうか。
結婚生活ってのは、甘いものだろう。でも、社会的に結ばれることを誓っている関係である以上、恋愛のような燃え上がるような関係というよりは、優しく、穏健とした基調のものになるだろう。そして、妊娠し、こどもが産まれるとなれば、二人の関係は、互いに互いを見つめあうものから、二人がともにこどものことを見守る、というものに変わる。言い換えれば、人生・家庭の主役が、自分たちから、こどもへと移行するのだ。その後の展開は、詳しく述べるまでもなく、こどもの成長に、焦点が置かれるものとなる。
こういうふうに大局的な視点でとらえると、結婚が「あがり」で、その後の人生は「余生」という面も、確かにあるだろう、と思ってしまう。
まだまだ若い、とらえていたが、自分も、ふとすれば「あがり」を迎えるような年齢になったのだ、と感じると、いろいろと考えさせられる。
一番思うのは、自分はまだまだ、未熟だ、ということ。
力を全然身につけていないし、なんだか小さくまとまりすぎている。
なんだか、今後の「あがり」までのありきたりな道筋、ひいては、その先の貧弱な人生までが、ぼんやりと見通せるかのようではないか。
いつから、こんな情けない状態に成り下がってしまったか。
「先が見える」ようになってしまったら、男として、終わりだと思う。
常に、成長したい。
常に、新鮮さを持っていたい。
常に、アイデアのある人生を生きたい。