母
年に数回上京し、うちにやってくる母。
観光のため、とか言ってるけど、わかってる。ほんとは、大学卒業後に帰郷せず関東に居着いた俺と妹の様子を見たいんだ。
会うと、明るく多弁で自然な感じ、に見える。
でもよく神経を澄ますと、垣間見えるんだ。田舎に戻ってくれなかったことへの心残りや、普段我が子にほとんど会えないさみしさや、わずかばかりの逢瀬の切なさが。。。
母ももう60の声を聞こうとしている。白髪も多くなってきた。糖尿病を患ってもいるらしい。
聡明な彼女。こんなことを考えているじゃなかろうか。
今の状況の中、息子・娘と会えるのは、もう数十回しかないかもしれない、と。
一期一会、ではないが、この先の対面の機会が有限であることは間違いない。
まあそれは、毎日顔を合わせてる家庭でも同じなんだけどね。
浅田次郎の言葉が頭に浮かぶ。
−−−限りある命が虚しいのではない。限りある命ゆえに輝かしいのだ。武士道はそれに尽きる。生きよ。(「憑神」)
機会の有限性に気付かされたとき、思考は愛情に昇華すると思うんだ。
俺にはまだほど遠いけど。
うつや多忙を盾に取り、母に対して無愛想の限り。あたたかい言葉のひとつもかけてあげらんない。
こんなんじゃだめなんだ。
彼女が生きてる間に、これまで受けた限りない愛情のほんの何%でも、返してあげたいんだ。
想いを胸に刻む。