上流階層志向考

 ここ数日、ずっと考えてることがある。自分のうつの特徴は、「虚無感」が強いこと。楽しいことをしても、嬉しいことがあっても、心の底には、常に、「自分はこんなことをしてていいんだろうか?」というようなむなしさがあるのだ。ストレスやプレッシャーを強く受けているようなときは、これがより強くなる。こういった傾向は大学の頃から現れ始め、社会に出てから、深刻になってきた。では、この虚無感の原因は何なのか?
 数日前、職場への通学途中にぱっと思いついたのは、「自分は、欧米社会の、上流階層の人間に憧れ、無意識にそういう存在を自分に投影してるんじゃないか。しかし、現実に、自分の期待するような成果や環境が得られないので、投影された理想と現実の差が、虚無感、憂鬱感を生み出しているのではないか。」ということ。後半の、現実と理想の乖離→うつというのは、以前から感じていたが、前半部分は、このとき、ぽっと思いついたものだ。
 去年の3月、社会に出る直前の時期に、友人2人とアメリカ旅行をした。行き先は、ロサンゼルスとラスベガス。アメリカは、とにかく大きかった。土地も大きい、人も大きい、食べ物も車も建物も、日本とは規格違いだと感じた。そして、社会構造も、日本とは大きく違う。(少し古くなったが、)「一億総中流」な日本に対し、アメリカは、歴然とした格差社会。「中流」層もいるにはいるんだろうが、ホームレスっぽい最底辺層と、弁護士、医者、経営者等の上流階層との落差が天と地ほどある。日本との違いを強く感じるのは、上流階層は、その他の層に対し、居住地も隔離されているし、買う物、食べる物も違う。教育水準も高く、概して知的レベルも高い、ということだ。多少極端に書いたが、日本より、二極化が鮮明なのに間違いはないと感じる。日本は、弁護士も医者も、サラリーマンも公務員も、フリーターも低所得者も、(ホームレスは除くが、)みんな青梅街道を使うし伊豆に行くしファミレスを使うしフジテレビのお笑い番組を見る。 
 その後、社会に出て、1年強。今さらながらに感じたのは、「自分の深層意識にある憧れは、まさに欧米社会の上流階層に対するものだ」ということ。日本は、なんだか猥雑としているし、知的レベルの高い人向けの娯楽や文化も乏しい。日本を二度と戦争ができない軍事的骨抜き状態にし、その一方で勤勉に働きアメリカの経済を間接的に支える国にしようという、第二次大戦後のGHQの指導の影響が、未だ生きているのかな、と感じずにいられない。
 背景には、成長過程における親からの教育があったのかもしれない。昔から、こづかいには厳しく、おもちゃやゲームはあまり買ってもらえなかったが、百科事典や伝記本に興味を示すと、すぐに買ってもらえた。また、自分の実家は北陸地方のだいぶ田舎にある。小学校も、1学年二十数人の、小さなところで、地域のこどもは、みなこの小学校に通い、その後は、みな、同じ中学校に移る見込みになっていた。しかし、両親は、それに甘んじることを良しとしなかったようだ。しきりに自分に対し、「街に出て進学校の中学に行った方がいい」「東京の学校に出る気があるなら、家族で引越しをする」などと薦めてきた。また、家庭教育にも力を入れており、中学1〜2年頃までは、母親に学習を教わっていた気がする。当時は、若くて井の中の蛙だったため、それが当然なのだと感じてたが、今思い返すと、そういった経験の一つ一つが、自分に、周囲との差別意識、特権意識を培ってきたのかもしれない。
 偏った考えなのだろう。周囲に、社会に適応しづらい価値観なのだろう。欧米の上流階層がみな幸せで健全だとは思えないし、また、自分がそういう能力、環境を手に入れても、それでむなしさが解消できるとは限らない。そういうことは頭ではわかっている。でも、染み付いた深層意識が、自分を解放してくれない。人間、幼少から培われた価値観は、簡単には覆らない。23年間の経験の積み重ねが、今の自分なのだ。
 しかし、このままではやっていけないと、強い精神的負担を感じるのも、事実。自分の思考を、現実に適応できるよう、調整していかなくてないけない。挑戦は、まだ始まったばかりなのかな、と感じる。一生をかけて臨むようなものなのかもしれないし、一生かけても完全に乗り越えられないのかもしれない。この試みに、どんな意味があるんだろう。砂地獄で、もがいているだけだ。そう思うこともある。でも、進むしかないし、進んでいきたい。数日前の発見は、当たり前の事実の確認にすぎなかったのかもしれないけど、でも、今、こうしてうつでもがいている自分の、推進力になった。心身のだるさ、つらさで、停止寸前になっている思考も、なんとか、仕事と、この日記を書ける程度には動いている。仕事は仕方ないとして、この日記は、うつからの脱出の数少ない足掛かりだと感じる。わずかな光を、絶やすまい。