対人関係考察
今日は職場の研修があった。
同年代(25〜35歳程度)の人たちが200人程度集まって講義を聞くというもの。
同期の知り合いも何人かいた。
でも、彼らとすれ違うとき、「お」って声をかけるだけで、それ以上何も言えなかった。
あと、自分と同じ課に少し下の後輩がおり(仕事上の絡みはあまりなく、普段ほとんど話をしない)、今回は彼と一緒に会場に行った。
だが、後輩は顔が広く、休み時間にはいろんな人と交流してるのに対し、自分は一人でぽつん。本読んでるか、寝てるか。
同年代の人と交わることがおっくうでならない。苦痛。それを避けるため、孤独を選んでる構造。
エピソード2。
夜。フィットネス。エアロビが気持ちよくでき、満足。
更衣室に向かおうとすると、知らない女性(少し年下?)に声をかけられた。
「○○(地名)にお住まいの方ですか?普段、近くで何度か見かけてます。」
とのこと。
ぎょぎょっとした。
そういう声のかけられ方は初めてだったので。
「○○(チェーン店)の道の脇のあたりで〜、、、」
とか、見かけた場所についていくつかヒントを出してもらったのだが、そもそもの声がけが虚を突くもので混乱していたこともあり、とっさに頭が回らず、「あれ、そういう店ありましたっけ?」みたいな間抜けな受け答えをしてしまった。
後から冷静に考え直すと、あぁあそこのことか!とすぐわかったのだが。
いろいろ考えてて、なんとなく、次、その人と顔を合わせるのがすごく気まずく感じてきた。そこまで思うことないと頭ではわかってるのだが、一度そういうモードに入ってしまうと止められない。
自分のあまりの頭の回転の悪さ。
年下の女性に話しかけられ、舞い上がってしまい、しかも少し話を引き伸ばすことを試みようとしたその器の小ささ。
ほんと情けない。自分。
なんか最近、対人関係にとことん自信が持てなくなってきた。
いくつか、微妙にこじれたり気まずくなっている人間関係があるということがひとつめ。
あと、かつて、(主に自分の責に帰するところによって)相手を怒らせたり困らせたりして、決別したり無視されたりし、そのまま切れてしまった関係というのが、自分の場合少なからずある。そういうのを思い起こしてしまったというのがふたつめ。
そして、前2者に連動し、自分の病気であるうつによって、(主に)対人関係に関する思考の認知(自動思考)が歪んでしまっていることがみっつめ。
そういうのの結果、人とコミュニケーションをとることが、怖くて、面倒で、やっかいなものに思えてくる。
そしてその思い込みが、積み重ね、積み重ねで、徐々に確信になり、思考の根っこの部分にこびりついてくる。
もう30歳も目前。
対人関係の認知の指向を大元から見直すには、かなり遅い時期に来ている。
幼稚園児だって、人と信頼関係を積み重ねていくという、人の心の機微に関わる行動を、無意識ながらも習得していっている。
自分は明らかにそれに劣る。
根本的なところを履き違えているというか。。。
発達障害の一種なんだろうか?
人と交われない。
コミュニケーションが苦痛である。
対人思考の認知がいびつである。
どうしたら?
わからない。
時だけが過ぎていく無常。